なぜ生徒の9割以上がアメリカの大学に進学するのか?

とてもうれしいニュースがあった。

日本からIMGアカデミーにテニス留学をしているNaoki君が“Most Improved Player“に選ばれ、ここ一年でもっとも成長した選手として表彰された。テニスプログラムの所属人数は200を超える。世界中から集まる生徒の中から選ばれたことに、自分のことのように誇らしく思った。2年前の彼はお世辞にも目立つタイプではなかったし、英語も拙く、テニスも周囲より経験は多くない方だった。しかし、コツコツと努力を積み重ね、人として、選手として大きな成長を遂げ、コーチたちの投票で今回の表彰に至った。誤解をされたくはないが、彼がプロレベルのテニス選手になった、ということではない。テニスに対する取り組み、人間性など総合的に見て最も成長した生徒として選ばれた。その評価自体が、本当に喜ばしいことだった。

テニスの勝ち負けやランキングは分かりやすいモノサシではあるけれど、子供たちの価値を知る基準の一部でしかない。もし、アスリートとして何かのトーナメントで優勝するとか、トッププロになることが最も素晴らしいゴールだと考えているならば、それは子供やスポーツの持つ本質的な力を見くびってはいないだろうか?

Student-Athleteという考え方

IMGアカデミーに所属する生徒たちは“Student-Athlete“と呼ばれている。さらに、アメリカの大学でスポーツ選手として部活に所属する、日本で言うスポーツ特待生も同じ呼び名だ。“Athlete“ではないし、“Athlete-Student“の順番でもない。あくまで生徒であることが第一優先。スポーツだけうまくなれば良い、とはならない。IMGアカデミーの創設者、ニック・ボロテリーが1978年にスタートしたテニスアカデミーも全寮制にすることでテニスだけでなく人間性を高め真のトッププレイヤーを目指すという哲学に基づいていた。1987年にIMG傘下に入り、他のスポーツにも同じアイデアを持ち込み、人を育て、トップアスリートも輩出してきた。

プロになる選手はとても限られている。ましてやトッププロとしてスポーツだけで食べていくとなると、さらに狭き門となる。プロで活躍しても、ケガなどのリスクは常につきまとう。現実的に考えて学生がスポーツだけに没頭するリスクは取るべきではない、というのが米国では一般的な認識だが、日本なら「一つに懸ける美学」のようなものもあって(個人的には、それはそれで嫌いではないけど)、学生時代に勉強かスポーツか二者択一に考えている人も多いのではないだろうか。夏の風物詩と言えば甲子園だが、(野球をやっている高校球児が勉強をしていない、とは言わないが)練習量の多さや夏の試合日程の過酷さなどは、いくらそのロマンを語ってみてもIMGアカデミーの野球コーチたちには“Crazy“の一言で片づけられてしまうほど、なかなか理解され難い。あの、刹那的な輝きが尊い……などと語ったところで、不思議そうな顔をされるだけなので、もう説得することは諦めてしまったが……。

アスリートを見くびってはいないか?

「体育会系」あるいは「スポーツ・バカ」という言い方は、少なくともIMGアカデミーでは聞かれないし、大学スポーツの特待生でもそのように見下されるような扱いはなく、むしろ尊敬の眼差しを集めているのがアメリカだ。Student-Athleteとして、文武両道が当然の世界では、まずアスリートとして活躍するには勉強をしなければならない。IMGアカデミーでは授業に出なかったり宿題を提出しなかったり、あるいは単位を落としそうになっている生徒はスポーツのトレーニングや遠征などに参加させてもらえない。さらに大学進学も、スポーツ特待生になるにはGPA(総合評定平均)の基準がNCAA(全米大学体育協会)によって厳しく設定されているし、アスリートであることは、つまり勉学もできている生徒だと認識されているので社会的には非常に評価の高い存在だ。

また、スポーツそのものに対する考え方も日本とは大きく違う。スポーツは、賢くないと強くなれない。テニスなら、相手の長所・短所を見極め、瞬時に最適解を出し続ける判断能力を求められる。サッカーなら、たとえばボランチならチーム全員の能力を把握し、攻守ともに組織力を最大限に高めるように機能する。IMGアカデミーのコーチたちは、それを生徒に常に自覚させるために、スポーツの技術的な習得はもちろんだが、それ以上に「なぜ」そのプレーがあるのか考えさせる。これは、そのままビジネスの世界でも通じる能力を鍛えることになるし、人間力が自ずと向上することになる。

以前、スポーツ雑誌の編集者を3年ほどやっていたことがある。世界でも活躍するトップアスリートにも話を聞く機会は多かったが、彼らのほとんどは引退後をとても懸念していた。「スポーツしかしてこなかったので」と口を揃えたように多くの選手たちが語っていたが、むしろスポーツをそこまで極めた彼らが人間的に成長していないことはあり得ないのではないか? 不安になっているのは、おそらくスポーツの本質的な力と向き合っていないか、向き合うようにする指導者と出会っていないからではないか? その素晴らしい試合やパフォーマンスは継続力、思考力、判断力、メンタルの強さに現場のマネージメント力、チームワークに心からの優しさとたくましさがあって成し遂げられ、形づくられているのではないか? 多かれ少なかれスポーツに携わってきたアスリートたち。スポーツの本質的な強さを見落としてはいないだろうか? 体育会系とアスリートをくくる人たち。彼らの根本的な能力を見くびってはいないだろうか?

IMGアカデミーに掲げられた卒業生の進路ボード。ほとんどは米国の大学だ

 

アメリカの大学スポーツの可能性

IMGアカデミーの卒業生は毎年9割以上がアメリカの大学に進学している。理由はとてもシンプルで、大学という場所がとても魅力的だから。詳しくは別の回で説明するが、NCAAに属する大学(属さない大学で魅力あるところはたくさんあるけど割愛)は、ディビジョン制になっておりD-1、D-2、D-3と3つに別れている。D-1の方がスポーツ施設が充実していたりトレーナーなどエキスパーとの人的リソースが豊富だったりするので自ずと競技レベルも高くなるのだが、遠征の移動にプライベートジェットを使うなんていうとんでもないチームがあったり、テレビ放映や10万人が埋まるスタジアムでの試合など、プロスポーツと比べても遜色がないどころかそれ以上の派手な世界が広がっていたりする。ただ、実はD-2でもD-1の競技レベルを上回るチームはごろごろ存在するし、D-3で競技レベルが高くない場合でも勉学のレベルが高かったり地域コミュニティとの結びつきが強く充実した活動を行なっているところもあったり、とにかく自身のレベルやスタイルに合ったオプションがたくさんある。NCAAに属する大学だけでも1000校を超え、いろいろな学問の選択肢があり、州によってまるで別の国と言ってもいいほど多様な街の文化がある。

もちろん、高校でスポーツをやめてしまう生徒もいて(IMGアカデミーの卒業生は何かしらスポーツをするのがやはり多いけれど)、アスレチックトレーナーを目指す人がいたり、スポーツマネジメントを学ぶ人もいたり、スポーツとはまったくジャンルが異なる法律の世界に進んだり、それはそれでベストの道を選んでいる。

最近はD-1という言葉も日本で徐々に浸透はしてきている実感はあるけれど、「UCLAにうちの子は入れますか?」と、とてもピンポイントな考えをする方も多いので、日本ぽいなあ、と漠然とした感想を持ったりしている(70年代、80年代の西海岸アメカジブームのカレッジトレーナー文化、みたいなものがUCLAのイメージの元にあるのだろうか? UCLAは確かに素晴らしい大学だが、もっともっと魅力的な大学はたくさんあるので広く見てもらいたい)。

Naoki君の夢はアメリカの大学でロボット工学を勉強することだそうだ。おじいちゃん、おばあちゃん子の彼は将来は福祉用のロボットを開発したいと考えて、日々コツコツと前に進んでいる。世界中の生徒たちの中で揉まれながら、自分の強さを見極めて、静かに戦い続ける彼の未来が楽しみで仕方がない。

IMG Academyの日本語サイト

 

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