錦織圭には、なるな。

photo by Naoyoshi Sueishi

IMGアカデミー創設者、ニック・ボロテリーの提言

IMGアカデミーと言えば……? 名前を聞いたことがある人なら、テニスの世界で活躍する錦織圭選手を思い浮かべるのがほとんどかもしれない。13歳で渡米し、プロに転向するまでIMGアカデミーでトレーニングを積み、今もここを拠点にしながらトップ選手として戦い続けている。「IMGアカデミー = 錦織圭」といっても過言ではない状況の日本で「錦織圭には、なるな」と発したのはアカデミー創設者であるニック・ボロテリーだ。

テニスクリニックと出版イベントのために全国行脚をしていた時だ。“錦織圭を育てたアカデミー”という触れ込みで集まった子供たちや家族は、ニックの口から最初に出た言葉に戸惑っていた。

「まず言いたいのは、錦織圭にはなるな、ということ」

ざわつく会場を一通り見回して、ニックは言葉を続けた。

「彼が素晴らしい選手であることは間違いありません。ただ、ここにいる子供たちは一人ひとり違う個性を持っています。ケイを見る前に、自分自身のこと、自分の子供たちのことをしっかりと見てあげてください」

私はIMGアカデミーのアジア・日本マーケットを統括しており、ざっくり言えばフロリダに留学する子供たちをサポートする立場にある。留学を考えている家族から相談を受ける中で、どうしたら錦織選手のようになれるか、と質問されることが少なくない。
実際に彼はここを卒業して大成功を収めているし、それ以外にも世界のトップ選手として活躍する卒業生も多く(テニスであれば世界ナンバーワンになった選手が10人もいる)、日本では「プロアスリート養成所」のような言い方で紹介されることがほとんどで(実際には米国の大学進学を目指す中高一貫校でプロになるのはせいぜい卒業生の1~2%程度。このことについては別の回で詳しく紹介する)、大きな期待を寄せるのも理解できる。
ジュニア向けのスポーツ施設として見ても、ここまで充実した場所は世界にも類がなく、プロを目指すには十分すぎる環境がある。子供たちは可能性を無限に持っているし、きっとプロになる道もあるはずだ。
ただ、そのアプローチの仕方として錦織選手が辿った方法がそのまま合っているか、は分からない。“錦織圭”という名前のインパクトが大きいので、そのメソッドなど知りたがる方はたくさんいるけれど、留学を考えている本人がどこを目指しているのか、自身の話を本来は細かく聞きたいところだが、それを真っ先に教えてくれる人は少なかったりする。
さらに言えば、ニックが「錦織圭にはなるな」と強い言葉を使うのは、特に怪我のリスクもある。

「子供たちは成長の速度もそれぞれ異なるし、筋肉の付き方も違う。ケイのような打ち方をしたら怪我をする選手も出てくる。日本でテニスの雑誌を見たら、みんなケイのフォームばかり扱っていて、とても心配になったよ」

指導者に必要なのは「見る力」

指導者として一番大切なことは何か、とニックに尋ねたことがある。答えは「見る力」だった。自身の経歴やテニスの実力よりも、選手たちの個性を見極めることができるか。10人いれば、10通りの正解を一緒に探してあげること。それが、指導者に求められる不可欠な能力というわけだ。IMGアカデミーのテニスプログラムはコーチ1人に対して選手は4人という少人数制になっている。というのも、一人ひとりの個性を引き出すには、コーチに対する生徒の人数がそれ以上になると精度が低くなってしまうからだ。スポーツ競技のコーチ以外にもアスレチックトレーナーやメンタルコンディショニングコーチ、栄養士などエキスパートたちが数多く在籍していて、いろいろな角度から個人に合わせたトレーニングを組み、怪我のリスクも減らしながら成長できるのもIMGアカデミーから良い選手が育つ大きな理由であることは間違いない。

ニック自身のテニス選手としての経歴は、大学で1年間プレーしていた程度。プロ選手としてはおろか、高校時代はアメフトのクオーターバックで、テニスを本格的にやったことがなかった。それでもアンドレ・アガシやマリア・シャラポワなど世界ナンバーワンを10人も育て、コーチとしては初となる国際テニス連盟の殿堂入りを果たしたのは、彼がいう「見る力」に秀でていることが指導者にもっとも大事であることの証明だろう。これは、何もテニスの世界に限ったことではないのではないか。他の競技でも、勉強でも、あるいはビジネスの世界でも、たとえば過去の成功者のメソッドに従うよりも、それぞれの特長を認識し、最適な答えを見極めることが人を成長させる。正しい答えは、一つではない。

では「見る力」はどう養えばいいのか。これもニックを見ていると、なるほど、と思わされる。2018年で87歳を迎える伝説のコーチは、いまも朝6時にはアカデミーのキャンパスにやってくる。創設から40年経った現在、東京ドーム約50個分にも及ぶ広大なアカデミーを「マイ・ベイビー」と呼び(創設者にしか、こうは言えない!)、子供たちを指導することを何よりの生きがいにしている。よく通る声で「エクセレント!」と声をかけ、しかも指導内容が的を射ているから、子供たちも心から楽しんでテニスに取り組んでいる。選手たちの特長を嬉しそうに話すニックは、まるで恋人を自慢するように、目を輝かせている。きっと、ニックは人を好きになる天才なのだと思う。人に惚れ、長所を見つけ出し、褒めて伸ばす。そして、誰に対しても本気だ。
この御仁、実は7回の離婚歴がある。8回目の結婚は15年以上続いているので、もうバツを増やすことはないだろうけれど、彼の“本気で人を好きになる才能”が顕著に表れている話だなと妙に納得してしまった。離婚の原因はどうやら相手にあったのではなく、彼の見る目の問題ではないようで、破天荒な自分の生活に愛想を尽かされたことがほとんどだったそうだけれど……。

日本でイベントを行った際に滞在したホテルにはブライダルコーナーがあった。飾られていたウェディングドレスと並んだ姿を写真に撮ってくれ、と頼みながら「テニス以外でも、結婚に関するアドバイザーにはなれる。なんせ、経験が人より豊富だから」と、ニヤリとしながら話していた。いやいや、むしろ失敗の方が多かったんじゃないか、と突っ込む暇もなく「新しいビジネスができそうだな。代理人としてよろしく頼むよ」と笑いながら肩を叩いてくるので、それはそれで面白いかも、と楽しくなってしまった。人を好きになる天才は、人に惚れられる天才でもあった。素晴らしい指導者には、突っ込みどころのある茶目っ気も必要なのかもしれない。

ニック・ボロテリー
1931年7月31日生まれ。高校時代はアメフト選手という、トップ選手としての経歴が皆無という異色のテニスコーチ。1978年、IMGアカデミーの前身であるニック・ボロテリー・テニスアカデミーを設立し、世界No.1の選手を10人育てる。2014年、国際テニス連盟の殿堂入りを果たした。著書に『CHANGING THE GAME 10人の世界一を育てた男』などがある。

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